赦し委ねて祝福~
今ならどんなことも赦すと分るけれど
(どんなこともというのは、
愛以外のどんなものもということだけど)
どういうことを赦すのかがよく分らなかった。
ネガティブな感情は悪だから
人前で出したらダメと罪悪感があったから
見ないように抑圧していたので、
何を自分が持っているか隠さずによく見るとは、
これまでと真逆を行くので慣れるまでに時間がかかった。
しかもスピリチュアルでは、
そういった感情は昇華させるのだと
なんか修行ぽいことを言っていた。
でもコースでは、
はじめから ’’ない=無’’ だっていう。
だれかに何かをされてムカついた!
と怒ったところで、
「私に何かをする人もいなければ、
何かをされたこともない。
誰かに何かをされていないこととして赦す。
世界はない。愛だけがある」
と言う。
「ええ~じゃあアタシのこの怒りはどこにいけばいいの~~
怒りのおとし所はどうするの?
無いといわれても、あるようにしか思えませんよ!
我慢したら、抑圧じゃないですか~」
と思います!
その怒りは、御父の祭壇で叫けべばいいのですって。
もしくは、御父の祭壇と設定してノートに書くとか。
御父の祭壇の前では
愛以外のものは消えて行きますから。
それでもって持て余した破壊衝動は
枕やクッションを叩くとかで発散すればいいのですって。
私は○○さんに酷いことをされて
ムカついたと思っていましたが
そんなことは起こってもないことで、
単なる間違いなので、赦し、聖霊に委ねます。
と、聖霊に間違いを訂正してもらう。
「起こってもいないこと」という所が
エゴでは受け入れられないので聖霊にお願いします。
それをやって
生活が変わっているという先輩の姿をお手本に、
旦那さんに対してとか、お姑さんに対しての
怒りとかイライラとかムカついたことから
「赦し委ねて祝福」をやりはじめました。
赦して聖霊に委ねると、
愛以外のものは消えてなくなる。
その空いたスペースは
祝福をして満たしておくことを忘れないように。
忘れると、せっかく消してもらってできたスペースに
エゴ的思考を呼び込んでしまうからです。
祝福して、
エゴ的思考が占めていたスペースを
聖霊的思考に入れ替えてもらいます。